はじめましてのご挨拶
どうもはじめまして。しょうへいです。
このページでは、このブログを書いているのが、どんな人間か知ってもらう、想像してもらう事を目的にして書いています。
身構えずに、「ふ〜ん、こんな人が書いてるんや〜」程度になってもらえたらと思います。
しょうへいの性格
自分で思っている性格と周りから言われた性格にギャップがあったりしませんか?
私はそういう事があったりするので、二通り紹介します。
自分が思う性格
- 温厚
- 優しい
- おおざっぱ
- 人見知り
- 時々調子に乗る
- メンタルが強くはない
- プレッシャーにも強くはない
- 活発に行動するタイプではない
ざっとこんな感じです。
周りから言われた性格
- 温厚
- 優しい
- 時々冷たい
- きっちりしていそう
- よくしゃべる
- 人見知りしない
- メンタルが弱くはない
そんなつもりないんですが、「時々すごい冷たい反応する時あるで」と言われたことがありました。これは、気を付けないといけないなぁと思いつつも、自分で気づいていないのが困っている点です。
「よくしゃべる」「人見知りしない」はセットみたいなもので、妻のママ友さんにも言われたようです。クールキャラでいようと思ったのに、おかしい・・・。
「人見知り」って難しくて、私の場合話し掛けて、反応が良ければ初対面の人と普通に話せます。反応悪いと、それ以降会話に困ります(話し掛ける事が出来るのが「人見知りしない」って事?)。
好きな事・もの
私の好きなことやものを挙げていきます。
好きな食べ物
- ラーメン
- チャーハン
- 餃子
- ハンバーグ
- 焼肉
- パスタ(特にカルボナーラ)
- 焼きそば
- から揚げ
- ハンバーガー&ポテト
- 妻の作るごはん
子どもが好きそうなものは大概好きです。
好きな歌手・芸能人・スポーツ選手
順不同です。好きな順番とかではありません。
(敬称略)
- レジー・ミラー(元NBA選手、現在はNBA解説者)
- To Be Continued
- ゴスペラーズ
- 久保田利伸(最近聴き始めた)
- KREVA(最近聴き始めた)
- 三浦大知(最近聴き始めた)
- 菅野美穂
- 新垣結衣
- 竹野内豊
- 玉木宏
好きなこと
これも順不同です。
- バスケットボール
- NBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)
- インディアナ・ペイサーズ(NBAのチーム)
- 珈琲
- あまり飲まないけど、お酒
- TVゲーム
- クレジットカードを調べる事
- ドライブ
- 友人
- 家族
バスケットボールは中学2年~大学2回生までしていました。娘が生まれてからはしていませんが、今も趣味として週に1回ペースでバスケットボールをしています。バスケットボールを始めた事ががきっかけでNBAを好きになりました。そして先の好きな人にあげたレジーミラーという元NBA選手を尊敬しています。
クレジットカードはいろいろなクレジットカードを調べる事が好きで、クレジットカードのブログ「クレカコレクション」を運営しています。いろんなクレジットカードが世の中にたくさんあって、調べるのがおもしろいんです。
嫌いなこと・もの
次は嫌いなことやものです。あまり多くは語りません。
嫌いな食べ物
- ネバネバ系
- ザ・和食系(嫌いというか苦手)
- 魚介類(嫌いというか苦手)
嫌いな人間のタイプ
- なぜか偉そうに話す人
- 理不尽なことで怒る人
- 人それぞれ考え方・環境・立場が違うのに、自分の考えが当然(常識)と思っている人
嫌いなもの
- 自然災害(ただ単に怖い)
- ホラー映画(特に邦画)
- 噛んでくる生き物
- 毒持った生き物
しょうへいの生い立ち
ここでは、しょうへいという人間が、どういった人間であるかを検証してもらうため、各時期にわけて、人生を振り返ってみたいと思います。
記憶の中での振り返りなので、覚えていない事多々ありますが、
どうか、お付き合い下さい。ちょっと長いです。
誕生
生まれた年は、1981年。滋賀県で生まれました。
3人姉弟の、一番下です。上の姉達とは少し年が離れています。
滋賀県ってどこ?っと思った方、小学校の時に地理とかで習っているはず!
日本一大きな湖、琵琶湖があるとこです!
関西です!
関西圏から離れている方々からすると、知名度は低いようです。知名度低いから県名を変えようみたいな動きが一度起こったような・・・。
滋賀県で生まれて、今も滋賀県に住んでおります。
生誕から幼稚園児までの期間
生誕からといっても、全然覚えておりませんので、 まずは、姉からの証言をご紹介。
《姉から聞いた話》
- 姉のおなかを思いっきり噛んで、しばらく後が残ったらしい。かなり痛かったと聞いています。(ごめん、でも覚えてないねん・・・。)
- 幼稚園入る前かな?遊園地にいった時、ジェットコースターの音にビビり、ずっとぐずっていた、結果、姉まで巻き添えをくらい、あまり乗り物に乗れなかった。姉はめっちゃ不機嫌に。相当怒っていた。(ごめん、これはなんとなく覚えてる)
次は、なんとなく覚えている事です。
- すぐ泣く泣き虫っ子
- 怖がり
- 人見知り
- 活発で目立つ、というような子どもではなかった
- 怒られて平気なタイプではない
- だから、怒られるのは極力避けていた
- けど、ビックリマンチョコが買いたくて、母親の財布から100円持ち出して、怒られる
- この時の言い訳は「お母さんお昼寝してて、起こすの可哀想やったから」と優しい子ども
- でも、やっぱり怒られた。根本的に勝手に持って行った事が悪いから(納得)
- 幼稚園児の時、給食をよく残す
- 少食でガリガリでした
今、自分で改めて思い返したら、
俺、へたれやん
って思いました。今もなんかな・・・。
ちなみに当時は100円でビックリマンチョコ3個買えました。
小学生時代
小学校のクラスには、大きく3つのタイプの子がいると思っています。
- 目立ってモテるタイプ
- すごくおとなしいタイプ
- どっちにも属さない普通タイプ
たぶん、みなさんなんとなく分かるかもしれませんが、この中で私は、
3番です
ふっつーの小学生でした。
あくまでも私の個人的考えですが、
1番のタイプの子は、走るのが早い、スポーツしている、やんちゃ、積極的に発表する、間違っても笑いに変える能力がある、といった子どもをイメージしています。先生によく怒られる子どもというのも、目立っていました。
2番のタイプの子どもは、すごく真面目で勉強が出来る、休み時間は本を読む、大きな声を出した時を見た事がない、といった子どもですかね。
こう考えると私は、
- 走る速さはクラスで真ん中
- スポーツ特にしてなかった
- やんちゃではない
- 発表は自信のある時だけ
- 間違うと恥ずかしいと思う&落ち込む
- 先生に怒られる事は滅多にない
- 勉強はクラスで真ん中よりやや下
- 大きな声はたまに出す
ね、ふっつーの小学生でしょ。
中学生時代
中学生の時も、小学生の時と同じようなタイプで、特別これというもののない普通の中学生でした。ただ、少し変化がありました。それは、
バスケットボールを始めた事
ほとんどの中学校が同じだと思っているのですが、中学校は何かしらの部活動に入らなければなりません。
中学1年時は、美術部に入りました。
絵を描くのが好きだった(突出して上手いわけではない)というのもありますが、そこまで活発に活動していなくて、すぐ帰れるからという方が大きな入部動機。幽霊部員とでもいうんですかね?
しかし、中学2年にあがる直前の3月、バスケットボール部への転部をしました。
理由は2つあって、
1つは、体重が増えて運動がしたくなった。
もう1つは、
体が疲れなくて、夜眠れないから
どんな理由やねんって感じですが、こういった事と、仲の良い友達がバスケットボール部だったという事もあり、
バスケットボール部に入ろう
ってなりました。文化部から運動部への転部はわりと容易だったようです。理由はわかりません。
転部した、中学2年からは
さぁ、バスケットボールに打ち込む!
ってほど、まだ気合いは入っていません。
当時、バスケットボール部は、1つ上の学年は近畿大会に出るほど県では強豪、私の学年は県ベスト8だったかな?わりと強豪でした。
中学2年にして初心者、まともなスポーツ初体験。そんな私が周りの経験者について行けるわけではないので、
ちょくちょくサボってました。
試合に出ないのも普通と思っていましたし、特になんとも思っていませんでした。
でも、中学2年の後半ぐらいから、試合に出てる皆がかっこよく思えて、
自分も試合に出たい
と思うようになりました。
そこからは、さぼることもなくなりました。上手い人を見てどんな動きをしているか研究したり、家帰ってシュート練習したり(バスケットゴールを買ってもらいました)、試合に出れるように奮闘しました。
練習試合の時、試合に始めて出ました。
練習試合というのは、レギュラー組の試合とそれ以外の組の試合が基本行われます。私はレギュラー組以外の試合で始めて「試合出場」を経験しました。
めっちゃ緊張しましたが、その時初めて決めた3ポイントシュートは、はっきりと覚えています。
結果的に、公式試合でのレギュラーはつかめませんでした。
何かを始めるという事を初めて行ったのが、中学時代でした。私の母親も、バスケットボールをこんなに続けるとは思わなかったようです・・・。
高校時代
高校は、地元の高校に行きました。電車通学にあこがれましたが、自転車通学となりました。
バスケットボール部に入部
高校でもバスケットボール部に入部。バスケットボールにすっかりはまりまして、中学から継続となりました。
試合に出たいため、頑張りました。そして、
高校1年の冬の大会で、
スターティングメンバーの座を獲得!
部員数少なかったんですけどね。
毎日きつい練習で、辞めたくもなりました。授業終わってすぐ帰る同級生を、羨ましいと思った事もありますが、今は良い経験をしたと思っています。
初の彼女ができる
高校2年の時、人生初の彼女ができました。
これは、大きな出来事。普通の私に彼女ができたんですから。
ただ、私は恥ずかしがり屋で奥手、手をつなぐ事も出来ませんでしたけどね。
そして、4か月ほどで別れるという事になりました。
高校時代の友人
高校3年生時は、高校最後の年という事で、体育祭や文化祭でクラス一丸となり、気合を入れて取り組みました。そういった事もあり、特にクラスの一部の人たちと仲良くなり、その関係は、今も続いています。
大学受験
高校3年から、大学受験。母親から、「大学は出といて」と言われたのを覚えています。
受験勉強といってもすぐ取り組んだわけではなく、本格的に動き出したのは、夏休み後半だったかな。夏休みってすごく大事なのにね。私は大学受験を甘く見ていました。
なので、なかなか決まらず。周りで決まった友人が出てくるたびに、焦りました。
そして何とか決まったのは、高校卒業式の前日。
もう、どうなるかと思いました。
大学時代
京都にある4年制大学に入学できました。
以前あこがれていた、電車通学です。一人暮らしはしていません。ずっと実家から通いました。今思えば、一人暮らしを経験しておけばよかったと思います。生活力を身に付けられたと思うので。
授業終わってすぐ帰る日々
大学時代の私は、授業後みんなと遊びにいったりとか全然しませんでした。ごく一部の人とは、仲良くさせてもらいましたが、大学で友人が多くできたわけではありませんでした。
大学は全国からいろんな人がきます。その環境に私は戸惑いました。
その中には、しっかり考えを持って、大学に入学した人。私とは反対に活発に動ける人。遊び上手な人など、いろんな人たちがいます。それを刺激に変える事が出来れば、私も人として成長できたかもしれませんが、私が感じたのは、
「みんな凄いな、自分ってなんなんやろ」
ってことでした。
そういった周囲の人達とはあまり馴染めず、ほんとに仲良くなったのは、3〜4人です。
なので、遊びに行く事もせずに、授業終わったらすぐ帰ってました。
今思えば、もっとキャンパスライフ楽しめば良かったです、、、。
大学4回生時にアカペラを始める
アカペラというのは、伴奏なしで歌ったり演奏する事。
この時期にボーカルグループ「ゴスペラーズ」さんの「永遠に」という曲がヒット。歌番組「ミュージックステーション」で「永遠に」を歌うゴスペラーズさんを見て衝撃を受けました。
かっこいい、俺もこうなりたい
という事で、アカペラをやろうという事になりました。
インターネットでメンバー募集している掲示板を見て、あるグループに加入。その時は私を含めて3人でした。
メンバー5人は欲しい(ゴスペラーズが5人だからっていう理由です)と思っていて、揃ったのが半年くらい経ってからだったと思います。
インターネットで出会ったという事を妻に話した時、「私は、たぶん無理」と言います。確かに、ネットでの出会いで、事件が起き始めた頃でした。積極的に行動する一面が私にはあるようです。これは、以前から少し変わった部分かもしれません。
そして、活動が活発になってきたときに、私はこう決心しました。
音楽でプロになろう
今思えば、無計画で無謀な挑戦でした・・・。
で、こう思った私は、就職活動を行わず、歌の練習に励むのでした。
当時付き合っていた彼女は、これを機に別れました(振られた)。
大学卒業後
就職せずに、アルバイトをしながらアカペラ活動を行ってました。
夏祭り会場や、イベント会場、ライブハウスなどでけっこう歌いました。人前で歌を歌うなんて、以前の私からは想像できない事でした。
ただ、特に何も起こらず、時間だけが過ぎていきました。それが現実です。
今思えば、夢に向かう行動力が足りませんでした。
そして、途中でメンバーと意見が合わなくなり、脱退。26歳の頃です。
アカペラの話はゴスペラーズに憧れて始めたアカペラ【想い出話】という記事に書いていますので、よろしければ参考下さい。
28歳にして就職
26歳の頃、アカペラをやめて、就職活動を行いました。
が、なかなか決まらず。
書類選考で落ちる事も多々。面接に行くことさえできません。
自分の存在を否定されている感じでした。
ただ、自分でもスキルを身に付けるなど、何もしていなかったので、ここは、反省点です。
でも、何回も落ちたら、嫌になります。一生仕事に就けないのかとも思いました。
で、ようやく仕事に付けたのは、28歳の4月。お酒を売る営業でした。
就職した会社は外資系でした。私が入った世界は、今まで経験したような環境ではなく、ノルマの課せられた厳しい世界。毎日数字に追われる日々、休みというのはほぼない環境。心を休ませたり、リフレッシュする時間はありませんでした。
そんなの当たり前と思う方もいると思いますが、28歳で社会に出た私が、適応できるような場所ではありませんでした。
そして、メンタルもやられそうになり、1年で退職。29歳の頃でした。
しかし、幸運にもすぐに派遣社員として、仕事に就く事ができました。
そして、派遣社員から正社員に登用してもらい、今の会社に勤めています。事務職です。
29歳の時結婚
そんな私ですが、ありがたいことに結婚できました。
29歳の時です。
そう、営業の仕事を退職した年です。
付き合い始めたのは、23歳の頃。
そう、アカペラしていた時です。
5年半ほどの交際を経て結婚に至りました。
私は、女性が喜びそうな事、例えばサプライズとか、おしゃれなお店を調べて連れて行くとかそういう事が出来ないタイプです。彼女はそういうのが好きなタイプでした。
付き合い始めた頃は、目標があるににしてもフリーターには変わらず。一時期はニート状態にもなりました。
でも、私の事を見捨てずに、ずっと付き合ってくれて、結婚してくれました。
しかも、付き合っていた時を含めて、ケンカをしたことがありません。もう彼女は神なのかというレベルです。
よく、別れずにいてくれたなと思います。もう、感謝しかないです。
31歳の頃に第1子誕生
これも人生のビックイベント。30歳の頃にパパになりました。
第一子は男の子。子どもを授かったと聞いた時、
俺がパパになるのか?
という喜び半分、不安半分といった感じでした。本当に実感がわかない。
「親」という自覚が目覚めたのは、この子が生まれて来てからかもしれません。
34歳の頃第2子誕生
第2子となる女の子が生まれました。
34歳の頃です。
この時は、育児休暇をもらい、体制を整えて準備しました。
育児休暇は2週間ほどもらいました。この2週間は妻と相談して決めましたが、後で思った事は、2週間では足りないなという事でした。このことについては、またブログで書きたいと思います。
あとがき
私について、以上となります。
少し長くなりましたが、ここまで読んでいただき有難う御座います。
たぶん、もっと細かく挙げればきりがないと思いますが、私はこんな感じの人間です。
どうぞ、宜しくお願い致します。